繭山順吉の父、繭山松太郎は、1882年(明治15年)富山県八尾市に生まれました。
「若い頃、佛教の教典に四恩と云う言葉があることを知った。即ちその一は父母の恩、その二は衆生、その三は国王、四は三宝の恩、どれも尤もなもので私は賛成である。(中略)その内の父の恩(中略)について書いた。
私の父はこの本に発表した様に貧乏の家に生まれた。成人する迄、家の長男としての努力は並大抵のものではない。高等小学校二年で中退した。多分十四、五才位であっただろう。その年から結婚した廿八才の年までの十三年間は、最も苦労した事がその記録で容易にわかる。父の父は養蚕の仕事をしていたが、家が焼けたため、友人から少なからぬ借金をした。私の父は責任のある長男として、まずそれを返すべく今で云う日銭の入るアルバイトを始めた。一ヶ月二ヶ月で次の仕事に移り、長くて一年か二年つとめた。
何の商売を自分の仕事とすべきかと十年以上、試行錯誤をした。一生の仕事を中国美術商に決めるために、所謂古物商である富山の松井さんにつとめたのが縁で、富山の神通由太郎さんを知った。すでに中国通いをしていた神通由太郎さんのお陰で北京へ渡った。神通由太郎さんの常宿である林ホテルの客引きをしたのが北京での最初の仕事で、いよいよ始まった。
父は明治三十八年に袴腰の香炉を手に入れた。そして大きい利益を得た。これこそ自分の一生涯の仕事と決心をした。その後、父本来のものの考え方が始まった。(略)」
( 「感謝」 繭山順吉 便利堂 1993 P.2 )
繭山順吉の父・繭山松太郎 17才頃
繭山松太郎(34才頃)と繭山順吉(4才頃) 大正6年頃 北京
「父と一緒にとった写真が沢山あるが、当時羊毛をいっぱいつけた羅紗のマントを着せられたがそれを五才位まで着ていて、私はそれを覚えている。父は髭をはやしていた。中国では本来の年令より歳をとってみられる事がすべて好かったらしい。」
( 「感謝」 繭山順吉 便利堂 1993 P.15 )