2023年は、東京内幸町帝国ホテルの2代目本館「ライト館」での営業100年の記念の年になります。繭山順吉は、帝国ホテルのアーケード店について、著書にこう記しています。
「大正十一年震災の前の年、父は帝国ホテルに小さい支店を出した。宝石商植田さんのおじいさんの御紹介で、父はこれからは日本だけではなく世界を相手に商売をしなければならないという信念で、英語は全くできなかったが、ニューヨークの森村に長くつとめた父より歳上の郷里の高野弥三郎氏に店へ入ってもらい、帝国ホテルの商売は高野さんにおまかせした。この店は段々大きくなり現在はアーケードに四十数種の店があるが、一番とは言わないが相当広いスペースを持ち、最初の古美術から段々お客様の好みに合わせ、只今は宝石を専門に取扱っている。」
(「感謝」 繭山順吉 便利堂 1993 P.15 )
「大正十一年、フランク・ロイド・ライト氏の設計による、新しい帝国ホテルが完成した。始めの計画では、アーケードが無かったが、新しい計画で、地下に店を八軒開くことになった。地下と云っても外からも出入り出来てバーもプールも建設されていた。
その時、新しい店の世話をした人は植田宝石店の創立者で、現在のご主人の御祖父だった。私はお目にかゝり、よく存じ上げている。この植田さんが犬丸徹三さんの依頼を受けて世話をした。(中略)始めはおみやげ程度のものから始まり、ハンドバッグ、パジャマ、絵はがき等だった。みんな安いものだった。 私は小学校四年生だったが、よく店へ遊びにいった。(中略)帝国ホテルの店を想うと、犬丸徹三さんと植田さんにお世話になったことを想い出す。」
(「美術商 繭山松太郎と鑑賞陶器の世界」繭山順吉 便利堂 1998 )
この「ライト館」(1923−1967)に設けられたアーケードへの出店は、帝国ホテルのサービス提供が、繭山松太郎の「お客様の好みに合わせ」るそれまでの商売の成功体験と重なり、機会を得て実現したものです。やがて商品の海外発送、異なる通貨、インヴォイスなどの英文書類の発行にも応えて商売が続いていきます。 繭山順吉は夏休みにアーケード店の手伝いに通って英語を習得しました。
「ライト館」時代が終わり、現在の3代目本館が営業を開始した1970年、56歳の繭山順吉は新しい帝国ホテルアーケードに日本古美術店を開きました。開店の挨拶文には日本の鑑賞美術のインフォメーションセンターとして利用を呼びかけています。
1970年代、繭山順吉は孫の私たちを帝国ホテルに連れてきてくれました。子供の私にとって帝国ホテルはガイコクでした。温かいアップルパイにアイスクリームをのせてもらう注文方法があることを知って興奮しました。ハウスフォンの使い方とプライバシーを知ったのも帝国ホテルです。ロビーは私がはじめて体感した大きな屋内空間で、その心地よいざわめきは今も変わりません。待合せの人への伝言を届けるためにベルを鳴らしながら名前の書かれたプラカードを掲げてベルマンが早足でロビーを隈無く歩く光景を懐かしく思い出します。日常とは違うルールで動く帝国ホテルは優雅で心地よく、海外への憧れが膨らみました。
2023年は、東京内幸町帝国ホテルの2代目本館「ライト館」での営業100年の記念の年になり、正面玄関左手に記念展示スペース「IMPERIAL TIMES」が設けられています。帝国ホテルが誇る、フランク・ロイド・ライト氏設計による「ライト館」時代を中心に、1890年(明治23年)の初代本館開業から、2036年完成予定の次の新本館の竣工計画までの資料の展示です。国際的に信頼される日本の代表ホテルの歴史を辿る展示を見ることができます。時代が変わり、建物が替わることはあっても、日々の業務にあたる熟練した人材によって創業の精神は途切れることなく、品格を保ちお客様を魅了する、これが「IMPERIAL TIMES」そして現在の帝国ホテルの私の感想です。
帝国ホテルは、繭山順吉が欧米との仕事を知った場であり、自分らしく居られる場所であり、大切な人と過ごす場所でした。3代目本館、ありがとう。
参考
「SUSTAINABILITY REPORT 2022 IMPERIAL HOTEL」
「インペリアル IMPERIAL number120, 2023」