繭山綾子
2021年の新年、私は繭山順吉没後23回忌の法要の準備にとりかかりました。繭山順吉の画像を投影することになり、材料を我が家の資料庫から選び始めました。原稿の文箱を開け、付箋を貼りの生涯を遡って行きました。新型肺炎の流行による自粛期間と重なったこともあり、家にこもって黙々と文献を読み進め、写真と書類を部屋中に広げたまま寝起きして過ごしました。この期間に電子化した素材が「繭山順吉資料室」ウェブサイトの画面を構成しています。
繭山順吉は、弟妹の面倒をよくみる親思いの少年、勉強熱心で、目標に向かって直向きに行動する青年、信心深く几帳面な紳士、そして寛容な祖父でした。この性格と、美術商の素養の組合せが繭山順吉です。シンプルです。憧れの「美術商社」山中商会に近づきたいと切望し、生涯にわたって公・私の区別なく「美術商」らしいかどうかを行動の判断基準としていました。そして美術商を心から楽しんでいました。
2022年の年明けには、NHKの番組制作会社から繭山順吉保管の戦前の資料の問合せがありました。繭山が最期まで手元に置いていた我が家のルーツを示す書類の、異なる視点からの認識も、このウェブサイトを整えた、きっかけのひとつです。
繭山順吉は私の祖父で、祖父が55歳の時に生まれた3番目の孫です。現在、繭山姓の孫は私一人だけになってしまいました。私は祖父から美術品と美術商家について教わり成長しました。私は、晩年の祖父と行動を共にする中で、祖父の伝説的な銘品の取引きのエピソードをを敬うと同時に、粗食や、例えばカレンダーの裏紙を大切に切って再利用する我が家の日常との、ギャップが面白いと感じていました。祖父と私の共通点は、美術商家に生まれ暮らす幼少期を過ごしたことです。店の奥には住まいがあり、朝から寝るまでの一日の人の動きや出入りが手に取るようにわかりました。美術商の仕事と愉快な生活を近くで見られる体験は、祖父が私に一番伝えたいことだったのかも知れません。